人間は、なぜ儀式を先延ばしにするのか?
斉藤由貴LIVE1995 「If」「卒業」 - YouTube (「卒業」は2:43~)
斎藤由紀の「卒業」のような卒業式で、
胸のボタンを求める女学生は、もう過去のものなのでしょうか?
後輩にボタンをねだられ、まんざらでもない男の子。
まさに、25年前のオレ!
まぁ、事実か、妄想かについては、想像にお任せしますが…
言いたいことは、そこではなくて・・・、
人間は、なぜ儀式を先延ばしにするのか?
告白するタイミングが、なぜ、卒業式なのか?
ということ。
考えられる理由は、大きく2つ。
①失敗しても、もう会わないから、気まずさがない。
②もう会えなくなるかもしれないから、踏ん切りがつく。
ちょいちょい、お待ちよ、お嬢さん…。
うまく行くように考えて、動きましょうよ…。
そうすれば、彼と一緒に校舎の裏で話したり、
学校からの帰りに寄り道したり、
楽しい学校生活が過ごせるのに…。
結論:びびるな。失敗する時は失敗する。
まずは早めに成功するように、イメージして行動すること。
そうすれば仮に、失敗したとしても、
Chanceは、必ずもう一回がやってくる。
「卒業式」という儀式を
利用することは間違っていない。
しかし、「卒業式」で、うまくつきあいはじめても、
案外、一緒に入れる時間は短い。
それは同級生の場合も、学年が違う場合もそうだけど、
新しい生活サイクルで、リズムが違う2人。
時間、そして次に、気持ちがすれちがっていくのは、
西に太陽が沈むがごとく、、、のような気がします。
解決策:“卒業式”の前に、“儀式”を持ってくる。
だから、“卒業式”に変わる “儀式”を企画して、
前倒しで動けばいいんじゃないですか?
お互いの気持ちが強く結び続ける一緒にいる時間を確保するために。
まぁ、バレンタインとか、クリスマスとか、ありますよね。
青少年の“卒業式”はあたるもの、
大人で言えば、なんなんでしょうね?
“卒業式”の前の儀式を、前倒しにする。
あなたの人生を再喜動(さいきどう:再びの出会いで喜びの感情を動かす)する
儀式がきっとあるはず。
あなたも、人生を再喜動するための
儀式を企ててみませんか?