そうだ(*゚∀゚)っ、人生を再喜動しよう!

再喜動✦(さいきどう:○○が◇◇によって再び喜び動き出す、○○と△△の再会の喜びのために動く)

人間は、なぜ再喜動するために儀式を必要としたのか?

冠婚葬祭ー。
人生の節目には、儀式や通過儀礼があります。

古くからあるもので言えば、
元服(成人式)、婚礼、葬式、法事…。
しかし、儀式は上のものだけにとどまりません。

例えば、入学試験、入社式や卒業式なんかも、
いわゆる現代版の“儀式”と言えるでしょう。


しかし、“儀式”を考える上で、
気になることが2つあります。

1つは、「なぜ、人は儀式を必要とするのか?」

2つは、「仮に必要とされているならば、
なぜ儀式が敬遠されることが多いのか?」

1つ目の問題に答えるならば、
人間は儀式を通じて、
心の区切りをつけてきたから。

人が亡くなる、籍が変わるなど、
ケという日常が大きく変わるとき、
非日常のハレという儀式を演出として持ちこみ、
人生に区切りと彩りを加えて、暮らしてきたからではないでしょうか。

翻って、現代に住む我々はどうでしょうか?

儀式や慣習に向き合う時間を煩わしいと
減らしてきたのではないでしょうか?

それは、ある意味、当然かもしれません。
我々には、“自由”があるのです。

移動の自由があり、
居住の自由があり、
職業選択の自由があります。

煩わしいものを煩わしいとして、
避けることができるのです。

また、数多くの時間消費型の娯楽が
たくさんあることも現代社会の特徴です。

つまり、日常(ケ)を生きるのには、煩わしいことを避け、
何の不満も不自由もない暮らしができる。

2つ目の問題に答えるならば、
現代の人間には、“自由”と“娯楽”があるから。


しかし、本当のところは、
解決しないといけない問題を
“自由”の名のもとに、先送りしていただけ
ではないでしょうか?

あえて、波風を立てることもない…。

ただ、そうこうしているうちに時が過ぎ、
あなた自身が置きっぱなしにしている
問題から目を背けられなくなる…。例えば、

家族の問題、これからの仕事、叶えたい夢、会いたい人…。

 

このまま、ずーっと避け続けるのがよいのでしょうか?

それこそ、“自由”ですから、他人がとやかく言うのは、大きなお世話です。

ただ、

・入学式を通して、晴れがましい気持ちになったことを覚えていませんか?
・結婚式を通して、身が引き締まる思いをしたことはありませんか?
・卒業式を終えて、解放感と共に、将来への責任を感じませんでしたか?

 

煩わしいと感じていた儀式の中から、
人生を前向きに生きる力をもらっていたはずなのです。


つまり、合宿や文化祭など、大変だけど、
“儀式(イベント)”を通して、
みんな幸せな気持ちを獲得・体験してきた
はずなのです。

“つまり、非日常(ハレ)の儀式には、

あなたの人生を再喜動(さいきどう:
再びの出会いで
喜びの感情を動かす)させる力があるのです。

 

あなたも、人生を再喜動するための
儀式を企ててみませんか?

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